強い男



ふわり、と世界が回った。
一瞬無重力空間に投げ出されたような、重力の移動。
恐ろしく綺麗に投げ飛ばされたのだ。
受け身の形だけは本能的にとったが、次の瞬間、俺の身体は畳に叩きつけられていた。
天井が目にはいる。
それから無表情に俺を見下ろしている、信じられないくらい綺麗な男の顔が見えた。
たった今、俺を投げ飛ばした男。
黒羽 高。
白い貌に、黒い髪。
額には汗ひとつかいていない。

すげー……。
心の中で、俺は口を開きっぱなしだった。
人形じゃないかと思うくらい綺麗な男。
男の顔なんて興味が無い俺でさえ、一瞬ポカンと見つめてしまった。
なのにその男は、綺麗と同時に信じられないくらい強かった。

俺、彼の身体に触ったか?
まともに組み合った覚えがないうちに、何度も身体は回され、俺は不様に床に寝ころぶ。
立っていられない。
立って組み付きに行った瞬間に、俺は床の上だった。

 

 

西署から凶悪犯罪対策なんとかで、誰か講師が来るのだという話は、確かにぼんやりと聞いた覚えがある。
俺はまったく興味がなかったのだが、相棒の馬渡浩介まわたりこうすけから盛大にため息をつかれた。
「あのな日比野。地域課と生活安全課の巡査は積極的に講義を受けることって、そう言われていただろう?」
「そうだったか?」
馬渡は、あーあと唸って天井を向く。
なんだよ、今お前が言ったのを聞いたわけから、別に仕事に支障はないだろ?
「講義なんて話、つまらなそうだから、ちょっと忘れていただけだよ」
「あのな…。お前は講義を受けろ、絶対。講師はあの黒羽くろはね こうだ」
「黒羽 高って、えーと、聞いたことはあるけど…」
「西署の黒羽巡査部長だよ。有名だろ」
「ああ、うん。名前は知ってるかなぁ」
ぼんやりした返事をしていたら、馬渡は肩をすくめて書類書きに戻っていった。

馬渡は気が短い。
こっちがぼんやりしてると、さっさと話を切り上げて自分の世界に帰ってしまう。
本人は判断が速いんだとか言ってるが、俺は見切りが早すぎるんじゃないだろうかと思うときもある。
時にはもう少し食い下がるしつこさとかが、警察官には重要だったりしないか?
なーんて、ちょっとブツブツ思ったりもするが。
まあいいや。
黒羽 高がどんなヤツだか知らないが、俺には関係ないしな。

だが、関係ないなんて思っていられたのは少しの間だけだった。
なぜなら、ただでさえいつもうるさい女どもが、黒羽なんとかが来る情報が流れた瞬間から、キャーキャー黄色い声をあげるスピーカーと化したからだ。
「黒羽さんだって。黒羽さんが来るって〜っ」
「黒羽さん、一度遠くから見たことあるけど、本気でめちゃくちゃ綺麗よ〜。すぐ近くに一週間もいるなんて夢みたい」
「ね、ね。カメラ用意しちゃダメかな」
「携帯で撮れば?」
「女性警察官も講義受けていいのよね。柔道とかで手取り足取り教えてもらえるかも〜」
「メアド交換してもらえるかなあ」
「おい、お前ら、不真面目すぎないか?」

もちろん最後のひと言は俺だ。
俺はこういう、キャーキャーミーハーな態度が大嫌いなのだ。
ただでさえ女どもの高い声は、耳にキンキン響いて頭が痛くなるってのに。
更にメアド交換だあー? 警察を合コン会場にする気か?

「誰が来るのかさえも知らなかった日比野くんに、不真面目がどうとか言われたくないよね」
「そうそう、それに私たち日比野くんと違って、講義自体は真面目に受ける気あるもの。日比野くんなんか、サボる気満々でしょ?」
「なっ、畜生。馬渡だな、バラしたの」
女どもは一斉にドッと笑った。
畜生、口の勝負で女に勝てるわけがない。
「だいたい日比野くん、強い人マニアでしょう? どうして黒羽さんのこと知らないのよ。勉強不足だと思うな」
「う、うるさいなー。聞き覚えくらいはあるよ。けど本当に強いのか? どこか嘘くさいよな」
「えー、どうして」
「どうしてって、お前らだってさっきからそいつの顔のことしか言ってないじゃねえか。キレイキレイって。馬鹿のひとつ覚えみたいに」
「うわ、馬鹿にバカって言われた」
「だって本当に綺麗なんだもの。本当のことなんだからいくら言ってもかまわないでしょ?」
「警察官じゃなくて、アイドルみたいじゃねえか」
「なに言ってんの。黒羽さんはその辺の芸能人なんかよりずーっと綺麗よっ!」

俺はガックリ脱力した。
ちっ。今までの人生で女と価値観が合ったためしがない。
結局俺はキレて、そんな顔ばっかり褒められるような男が強いわけないだろう、とぶちあげてしまった。
もちろん実際のところは、やり合ってみなくては解らないわけだが。
だが男に対する女どもの評価は、大体においてアテにはならない。
たとえば馬渡なんかは、あいつらによると、頭がよくて冷静で慎重で
『日比野くんとは正反対ね』
だそうなのだが、俺に言わせれば馬渡はかなり熱い男だし、けっこう短気だ。
馬渡は女の前でカッコつけが上手いだけなのだ。
俺なんかつい本音でやり合ってしまうから、腹が立つことにあいつらにいじられ放題だ。

…いや、俺のことはどうでもいいんだって。
とにかく女が言う前評判はアテにはならないって話だ。

 

 

そしていよいよ実際に黒羽 高が南署にやってきたわけだが。
早足で歩く背の高い男の姿を見て、俺はマジに口を開けた。
いやあ確かに、顔に関してだけは、女どもの噂は正しかったと思う。
というか、それ以上だった。
隣で馬渡が妙に顔を赤くしているのが気持ち悪いけど、まあしょうがない。
こんな男が街を歩いていたら、俺だって絶対見ちゃうからな。
これだけ綺麗なら確かに、男女関係なく、ちょっとくらい見とれてしまっても仕方がないだろう。
しかし。俺はあらためて思う。
男の価値は顔じゃない。

何と言っても、男は強くなくては。

俺は心を引き締めて、黒羽 高の身体を上から下まで睨みつけた。
すると黒羽 高が、フッとこちらに気付いた。
俺は思わずドキリとする。
しかし視線が合ったのは一瞬だった。
ヤツは取り澄ました感じの無表情で、俺なんか目の端にも捉える価値がないとばかりに、さっさと通り過ぎていく。
俺はムッとした。
もちろん意図的に無視されたわけじゃないのは解ってる。
でもな、なんつーかその。気取りやがって、って感じなんだよな。
こういうスカした男が強かったためしはない。
大体、肌だって真っ白じゃねえか。
眼鏡もエリート風でいけ好かない。
オレは黒羽 高の後ろ姿に鼻を鳴らした。

確かに身体がでかいから、戦闘には有利だろう。
普通に警察官やってたら、身体がなまってるって事もないとは思うし、あれだけ印象的ならハッタリもききそうだ。
でもな。俺が求めているのは実戦だ。
世の中には、使うためじゃなく見せるためだけに綺麗な筋肉をつけているヤツだっている。
見た目じゃ解らねえ。やっぱ実際にやり合ってみないとな。
黒羽 高がどれだけ強いか、俺が試してやるぜ。
化けの皮があるなら、さっさと剥がして、講師だかなんだか知らないが追い返してやる。

なんて考えていたら、部長から肩をポンポン叩かれてしまった。
「まあ、がんばってこい」
とか何とかあちこちからも言われたが、一体なんの事やら。
俺は思いっきり顔をしかめたが、みな苦笑いするばかりで、何も答えてくれなかった。


そして結局、その答えのすべてが、柔道場で投げ飛ばされているこの瞬間に解った。
強い。
信じられないくらい、強い。
よく解らないが、比較しても意味がないくらい、実力レベルに差があるだろう。
俺は畳の上で、ポカンとしていた。
みんな解ってたんだ。俺がこんな風に投げ飛ばされる結果が。
だから笑ったのか。
でも何で知ってるんだ。
そして、オレはどうして知らなかった?
こんなに強い人がいるって事を。

ケンカもやったし、格闘技とかも色々囓ったし、強い人もたくさん知ってる。
でも、これだけ鮮やかに強い男なんて、今までいなかった。
いや、俺が知らなかっただけだ。
黒羽 高は年上なんだから、俺が生まれたときはもう砂城にいたんだよ。
じゃあどうして、俺は23年間も知らなかったんだ?

畜生。
人生、損しちゃったじゃねえかよーっ!!

おまけエピソード サンプル

携帯専用の書きおろし小説「強い男」 ここまでで、話の4分の1くらいです。
「僕を呼ぶ声-voice-」の日比野側から見た話になっていますので、僕を呼ぶ声を読んでいると、よりいっそう楽しめると思います。

アクセスは、こちらから。 http://www.blsuki.com
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